セイケンハウス株式会社

倉田剛志

1994年12月4日、私は、熊本県の南端にある水俣市という田舎町で、男3人兄弟の末っ子として生まれた。
小さいころから、二人の兄の影響もあり、遊びといえば、野球やサッカーなどの運動ばかりをしていた。
小学4年生からは、学校の野球部に入り、夕方の限られた時間で、仲間と一緒に泥だらけになりながら、ボールを追いかけていた。週5日の練習や試合が楽しくて、しょうがなかった。
もちろん、走り込みや筋力トレーニングなどのきつい練習もあった。ただ、大好きな仲間と大好きな野球が上手になれるなら、きつい練習も乗り越えることができた。

中学校に入っても、小学校の仲間と一緒に、迷うことなく野球部に入った。中学1年生から中学2年生と時が経つ中で、一点だけ大きく変わったことがあった。 それは、肘と肩を痛めてしまったことだ。投手と内野手をさせてもらっていた私にとっては、致命的だった。
ノーバウンドで投げていた距離もワンバウンドでしか投げることができなくなった。少し力を入れて投げると、肩から肘にかけて電気が走る。監督に紹介してもらった、治療院に毎日通った。少し良くなったと思ったら、次の日はまた元の痛みに戻る。その繰り返しだった。
治らないまま、最後の大会を迎えた。内野手として

試合に出場させてもらったが、不完全燃焼で、終わってしまった。
中学3年の秋、高校を決める時期が来た。このまま、野球を続けるべきか迷っていた。
そんなときに、兄が所属していた陸上部の監督から、誘いを受けた。走ることは、正直好きではなかったが、なぜか駅伝だけは好きだった。兄の応援に何度も行き走る姿を見て憧れがあった私は、陸上部に入って頑張ろうと思った。
高校入学してから、陸上部は全寮制だったので、寮生活がはじまった。
私よりも速い人ばかりで、不安だったが、とにかく練習した。貧血になったり、疲労で脚を故障したりと、何度もあった。それを乗り越えることができたのは、近くで必死に努力をして頑張っている仲間がいたからだと思う。
陸上部は、ゴールデンウィーク、お盆、正月と帰省があった。実家に帰る度に、ホッとする。それは、社会人になった、今でも変わらない。
大学でも、陸上を続けた。毎日、早朝と夕方に練習があり、やめたいと思ったこともあった。ただ、いまは最後まで頑張った自分を誇りに思う。
これまで一緒に頑張ってきた仲間は、今でも連絡を取り合っている。一生ものだ。

就職活動の時期がはじまった。
スポーツばかりしていた自分は、何をしようか迷った。
そして、気になる企業の説明会に行くことにした。
その中の一つが、セイケンハウスだった。
いろんなところの説明会に参加して、セイケンハウスで働きたいと素直に思えた。
社長自らが、熱く話されていたのが、とても印象に残っている。

私は、セイケンハウスで、帰った時にホッとできるようなお家をお客様とつくっていきたいです。
そのために、少しでも家づくりについての勉強を重ねて、お客様の力になれるように頑張ろうと思います。
そして、お客様それぞれの最高の家づくりをお手伝いできたらと思います。

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