木の家を訪ねて(二棟造り民家)
九州では、どんな木の家があったのだろうか?
私達の先祖はどんな生活をしていたのか?
そんな疑問を解決するためには、直接、その家を見た方がいい。
ということで、今回も福岡県福津市の「民家村自然広苑」にある古民家を見学することにしました。
私達の先祖はどんな生活をしていたのか?
そんな疑問を解決するためには、直接、その家を見た方がいい。
ということで、今回も福岡県福津市の「民家村自然広苑」にある古民家を見学することにしました。
二棟(ふたむね)造り民家
(熊本県菊池郡泗水町より移築)
(熊本県菊池郡泗水町より移築)
二棟造りは沖縄から南・中九州で多く見られるが、本屋と釜屋がほぼ同大で棟が平行に並ぶという非常に珍しいこの建物は、かつて熊本県に多く存在し、正式には平行二棟式と呼称する。
この建物は約二百年前、寺の庫裡として建てられた為、規模が大きく建造年代も早く旧形、古制を良く伝える等、幾多の貴重な条件をそなえた遺構である。
この建物は約二百年前、寺の庫裡として建てられた為、規模が大きく建造年代も早く旧形、古制を良く伝える等、幾多の貴重な条件をそなえた遺構である。
菊池地方に多くあった神社建築の源流
平行二棟の形式は神社建築において謎につつまれている八幡造りの源流ともいわれ、かつては菊池地方に散在していたことが寛永十年(1633年)の肥後藩人畜改帳から分かるが、現在では僅かしか残っておらず、大変に貴重な建物である。
面積:141,5平方メートル
旧 等覚寺庫裡(住職泗水康哉氏)
復元指導:九州産業大学 佐藤正彦教授
移築年月日 昭和52年4月
資料:福岡県福津市「民家村自然広苑」解説より
面積:141,5平方メートル
旧 等覚寺庫裡(住職泗水康哉氏)
復元指導:九州産業大学 佐藤正彦教授
移築年月日 昭和52年4月
資料:福岡県福津市「民家村自然広苑」解説より
八幡造
八幡造は、2棟の建物を前後に連結させて一つの社殿にしたもので代表的なものとして宇佐神宮がある。
宇佐神宮と言えば、全国八幡宮の総本山。
しかし、なぜ?大分ではなく、
菊池に八幡造りの源流が散在しているのか?
その秘密は、地名や縄文から続く文化が教えてくれる。
神社って奈良や京都が源流と思いがちだが、なぜ?
和気清麻呂は天皇の勅使として伊勢ではなく、宇佐に行ったのか?わざわざ遠い九州に来なければならなかったのか?
そして八幡造の伝承が熊本にある理由。
答えは古代の歴史を見つめれば分かるだろう。
宇佐神宮と言えば、全国八幡宮の総本山。
しかし、なぜ?大分ではなく、
菊池に八幡造りの源流が散在しているのか?
その秘密は、地名や縄文から続く文化が教えてくれる。
神社って奈良や京都が源流と思いがちだが、なぜ?
和気清麻呂は天皇の勅使として伊勢ではなく、宇佐に行ったのか?わざわざ遠い九州に来なければならなかったのか?
そして八幡造の伝承が熊本にある理由。
答えは古代の歴史を見つめれば分かるだろう。






福岡県福津市宮司1304(宮地嶽神社の横になります)
木の家についてバックナンバー
荒穂神社
横大路家住宅
鉤屋造り民家

木の家 波の家は、福岡のハウスメーカー・セイケンハウス株式会社が運営する研究所です。
私たちは、縄文時代から続く家づくり研究を通じて、急速に発展する生活のなかで見えなくなりつつある
自然や文化をもう一度見直し、人間があるべき姿を取り戻していく活動をしています。
私たちは、縄文時代から続く家づくり研究を通じて、急速に発展する生活のなかで見えなくなりつつある
自然や文化をもう一度見直し、人間があるべき姿を取り戻していく活動をしています。
