綿積神社(わたつみじんじゃ)(福岡県糸島市志摩芥屋3747)
糸島市の神社

「わたつみ」とパソコンに入力すれば「海神」と変換されます。日本語は本当に不思議な言葉ですね。菊池にある「神が来る」「神来」と書いて「おとど」、「台」と書いて「うてな」など日本語ではないですよね。これは世界を航海してきた海洋民族の言葉なのではないでしょうか?
今回は、その海洋民族にまつわる神社「綿積神社」を参拝させていただきました。
今回は、その海洋民族にまつわる神社「綿積神社」を参拝させていただきました。

やってきたのは糸島市志摩芥屋にあります綿積神社。
この大綿積神は別名があり、豊玉彦命(とよたまびこのみこと) や志賀神(しかのかみ) とも言われ、大綿津見神・大海神(おおわたつみのかみ) 少童神・綿津見大神(わたつみのかみ・わたつみのおおかみ) などとも言われます。
どちらにしても安曇族と関係があり、糸島から福岡市東区の志賀島にあります志賀海神社など海の神様が祀られています。

糸島を散策してたどり着いた綿積神社の前に大きな駐車場があり、右を見ると砂浜がありました。どこかで見た雰囲気に似ている・・・。そう考えていた時、思い出しました。これは出雲大社に行った時に見た稲佐の浜にある弁天島。

出雲大社の「稲佐の浜」にある弁天島

糸島芥屋の綿積神社の前にある大岩

出雲族と安曇族は関係があるのではないでしょうか?
糸島郡誌には、大字芥屋字福浦に在り。祭神綿津見神。祭日十二月十五日なりと書いてあり、詳しいことはわかりませんが、この綿積神社は、おそらく太古から安曇族が祀った大切な神社だったのではないでしょうか?
糸島郡誌には、大字芥屋字福浦に在り。祭神綿津見神。祭日十二月十五日なりと書いてあり、詳しいことはわかりませんが、この綿積神社は、おそらく太古から安曇族が祀った大切な神社だったのではないでしょうか?

石の鳥居をくぐり、石段を登った上に神社が3社あり、綿積神社と右が境内社・金刀比羅宮。左が境内社・稲荷大明神。
駐車場にあった案内地図を見ると現在地である福の浦の正面に姫島があり、神社との関係を感じます。神社の石碑には文久三年(1863年)の文字があり、比較的新しいのですが、おそらく神社そのものは太古からあると考えられます。木を組み合わせた古い木造建築。糸島の伝統文化を学びながら、現代を生きる私たちの生活に役立てたいですね。
神社が地域の皆様の手で掃除されていて本当に嬉しく思いました。関係者の皆様に感謝いたします。






木の家 波の家は、福岡のハウスメーカー・セイケンハウス株式会社が運営する研究所です。
私たちは、縄文時代から続く家づくり研究を通じて、急速に発展する生活のなかで見えなくなりつつある
自然や文化をもう一度見直し、人間があるべき姿を取り戻していく活動をしています。
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