縄文の暮らしに学ぶ
波の家
糸島の歴史
花掛大明神 (福岡県糸島市志摩岐志699-1)
糸島市の神社
神功皇后と縁のある神社
福岡には神功皇后にまつわる伝承が数多く、この花掛神社(はながけじんじゃ)もその一つ。場所は、福岡県糸島市志摩西貝塚にある小さな神社。
神功皇后が三韓征伐の際、この社の側の山に花を掛けて住吉大神を鎮祭したため、花掛山と呼ばれるようになり、後に住吉大神の社を建て花掛大明神と号したという。
糸島にも大山津見神の文化が
しかし、御祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命の住吉三神と息長足姫命と言われているが、『福岡県神社誌(下巻)
』には、過去には一緒に木花開耶姫命と牟須姫命が祀られていたと書かれている。牟須姫命とは、おそらく石長比売(イワナガヒメ)のことで大山津見神の娘。木花開耶姫命の姉である。ご存知のように木花開耶姫命とともに天孫邇邇芸命(ににぎ)の元に嫁ぐが、石長比売は醜かったことから父の元に送り返された。大山津見神はそれを怒り、石長比売を差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、木花之佐久夜毘売を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからであることを教え、石長比売を送り返したことで天孫の寿命が短くした。それが、人間の寿命の始まりという。
イワナガ姫と関係があるのか?
石長比売は岩の永遠性を表すものとされ「岩のように長久に変わることのない女性」を意味するが、この花掛神社境内には神功皇后の袖敷石と伝わる大石があり、石長比売と関係があるのではないか?と考えた。しかも、現在、御祭神から削除されている。熊本県菊池市にも大山津見神を過去に祀った形跡のある神社が多数あるが、御祭神が変えられたり、大山津見神に関係するものが削除されている。
花掛大明神(はながけだいみょうじん)の文字
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大山祗神は縄文時代と関係があるか?
よく考えれば、以前、取材した細石神社(さざれいしじんじゃ)も磐長姫と木花開耶姫を祀っていた。大山祗神と関係あるものが糸島にもある。
かつて糸島の有力者(縄文人)を大山祗神と祀っていた時代があったのではないか?と考えられる。
そもそも大山祗神は、全国に897社ほどあって総本社は大山祇神社(愛媛県今治市大三島)だから、四国の神様のイメージが強いし、海の神様と言うイメージもあるが、名前に山が入っており、その存在が謎。
三島神社とほぼ同一の信仰を持つ神社もあれば、明治時代に鉱山開発を目的に勧請された神社もあり、高知県113社、群馬県79社、福岡県75社、福島県60社、長崎県53社あるという。福岡県糸島市志摩西貝塚にある小さな花掛神社(はながけじんじゃ)を尋ねながら、糸島の縄文時代まで空想してみた。
興味がある方は、そのような歴史を探求しながら、糸島を散策してみてはいかがでしょうか?
きっと新しい発見があると思いますよ。
花掛大明神
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木の家 波の家は、福岡のハウスメーカー・セイケンハウス株式会社が運営する研究所です。
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自然や文化をもう一度見直し、人間があるべき姿を取り戻していく活動をしています。