縄文の暮らしに学ぶ
波の家
糸島の歴史
大田神社 糸島市の神社(旧二丈町)
糸島市の神社
福岡県糸島市二丈一貴山にある大田神社を訪ねました。
道に迷ってしまいましたが、すぐ近くに仁王門があり、糸島市内から来ると、地図にあるように仁王門の向かう途中の手前を右に入った小さい道をまっすぐ進んだところに大田神社はあります。
この目印となった仁王門は、夷巍寺という怡土七ヶ寺のひとつに数えられた寺の跡で、神亀元年724頃、この地に聖武天皇の勅を請けて清賀上人により建立され、南北朝の時代に一貴山の合戦で被害を受け廃寺となりました。近くには慰霊碑も残されています。
大田神社 石の芸術
大田神社に向かうと結界のような雰囲気があります。
そこからは石の芸術に圧倒されます。大きな巨石が出迎え、その先には太田神社の石碑。
太田は「大」だったり、「太」だったり、「太」の真ん中にある「点」を「一」として上にもってくると「天」になり、この石碑にもなぜか「一」の文字があります。
それは天目一箇命の「天」に繋がり、古語拾遺には「天目一箇命 筑紫伊勢両国忌部の祖なり」と大田神社との関係があります。ここは製鉄と火を祀る場所なのだということがわかります。
手造りの粗削りな石の鳥居。魂を込めたものは何百年も残る。
大田神社に歩いていくと見えるのが大きな鳥居。
その鳥居を見て鳥肌がたちました。
なんと!石を手で刻み作った鳥居です。
魂を込めたものは人の心を感動させ、さらに何百年も残る。これは家作りをしている私達「セイケンハウス」にとっても原点ともいうべき鳥居でした。売り上げやノルマを重視する現代の家づくりにはない、大田神社の「鳥居」に学ぶことが多くあります。
この鳥居を見て、人が豊かに住む家って何なのか?人間の豊かさって何なのか?をあらためて考えさせられます。
昔ながらの木造建築。多氏か物部か その伝統を受け継ぐ神社建築。
大田命は 猿田彦命の後裔に当たる神様で以前、取材した佐賀県基山の荒穂神社に祀ってある日本最初の植林の神様五十猛命ともリンクします。
また、その昔神功皇后がここに天目一箇命という山鍛治神を祀られたということもあり、製鉄と植林、そして稲作の関係が浮上してきます。
鉄器がなければ木も切れないし、畑を耕す農機具にも鉄器。当然、鉄器は武力にも通じますので古くから糸島に進化した文明があったことを物語ります。多氏か物部か歴史ロマン溢れる大田神社に感動しました。
大田神社(旧村社)由緒
鎮座地 二丈町大字一貴山一千十六番地
祭 神 大田命 猿田彦命
例祭日 十月十七日
祭 神 火産霊命(はちすびのみこと)、伊邪那美命
境内神社 愛宕神社

由緒
猿田彦命は伊勢神宮の内宮近くに鎮座の猿田彦神社総本社の主祭神である 天孫降臨の時に道案内をされた神様で 導き開運の神として知られる
大田命は 猿田彦命の後裔に当たる神様で 内宮のご鎮座に大きな功績を残された
大同二年(807年)に書かれた 古語拾遺という古い本に「天目一箇命 筑紫伊勢両国忌部の祖なり」とある 筑紫の祭地がわからなかったが 一貴山に祀る神ではないかと言われている
明治初年に福岡県が編纂した怡土志摩地理全誌に その昔神功皇后がここに天目一箇命という山の鍛治の神から祀られたという
宝永六年(1709年)に福岡藩の命を受け 儒者であり博物学者であった貝原益軒がまとめた筑前国続風土記に一貴山の一貴とは「一箇」ではないかと書いてある
このように昔の書物に一貴山のことが記されており 古い歴史の重みを感じさせるものがある 愛宕神社は火伏の神様で福岡市姪浜の愛宕神社から勧請された
※神社由緒より引用
木の家 波の家は、福岡のハウスメーカー・セイケンハウス株式会社が運営する研究所です。
私たちは、縄文時代から続く家づくり研究を通じて、急速に発展する生活のなかで見えなくなりつつある
自然や文化をもう一度見直し、人間があるべき姿を取り戻していく活動をしています。