木の家 波の家
木の家について
木の家を訪ねて(横大路家住宅)九州最古の民家
織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちした元亀2年(1571)、延暦寺に伝わる伝説の法火にも危機が訪れました。
長年、受け継がれてきた法火が途絶えそうになったのです。
その絶対絶命のピンチを救ったと伝わる住宅が福岡に存在することをご存知でしょうか?

やって来たのは、福岡県粕屋郡新宮町にある横大路家住宅(よこおおじけじゅうたく)。伝承によれば、805年(延暦24年)、日本天台宗の開祖である最澄が唐での留学を終え、新宮町立花口の独鈷寺を開基した際、協力した横大路家の先祖にお礼として法火(法理の火)と毘沙門天像を授けたとのこと。

そして数百年後、比叡山延暦寺焼き討ちの際に、最澄の法火が途絶えそうになったため、横大路家に伝わる法火を延暦寺まで運び繋げたという伝説が残っているのです。

ちなみに現存するのこの横大路家住宅は戦国時代のものではなく、江戸中期(1661-1750)頃に創建されたと言われ、桁行16.0m、梁間8.0m、東面突出部 桁行10.7m、梁間9.1m、寄棟造、茅葺、四面庇付、桟瓦葺という造りになっている九州地方で最古の民家です。
300年残っているのが凄いですよね。
300年続く木の家
寄棟造(よせむねづくり)というのは、古来より世界各地の住宅で見られる一般的な屋根造りの家で、有名なものでは奈良の正倉院があります。
建築物の屋根形式のひとつで、四方向に傾斜する屋根面をもつものをいい、横大路家住宅もその形式で建築されています。
ヨーロッパでは築100年以上の家なんて当たり前ですが、日本の木造建築で300年というのは文化財クラスです。では、ヨーロッパのように長持ちする石の家がいいか?と言うと災害の多い日本では、家が倒壊した場合の危険性を考えた場合、木造建築の方が風土に向いていると言われてきました。
木の家の素晴らしさ
木の家は日本の風土とマッチしています。
まず、日本は木に囲まれている。なにせ九州は、五十猛命が日本で最初に植林を始めたと言う聖地であり、木の文化の発祥地と言われます。
木は他の構造形式と比べても建築重量が軽いので土地に対しての負荷が少なく、持ち運びしやすい。さらに加工しやすく、大工さんなどの技術も継承されやすい。
また、自然から生み出された木の温もりや臭いは、人間を癒す効果もあります。人と自然との間に適した循環が生まれ、季節や年月を経ていい味わいを出していくのも魅力です。
300年が経過した横大路家住宅を見ると人の手を加え続けていけば木の家は長持ちすることを実感するのでした。
木の家と土壁の相性
利休居士の時代より茶室の壁を土で仕上げるのは、土と木の相性が美的にも優れていたからと思います。
掛け軸をかけるにも、花を飾るにも土の質感や色調などが木との相性に最適だったからではないでしょうか?
木の家と石場建てについて
最近の建築では見なくなりましたが、横大路家住宅には「石場建て」が見られます。石場建ては自然と共生する日本の伝統文化です。現代建築では、コンクリートの基礎があり、土台などとしっかりつながっていますが、古民家や神社などは、石の上に柱が載っているだけの構造になっています。これが「石場建て」です。
同じ福岡県の糸島にある綿積神社の「石場建て」と横大路家住宅の「石場建て」を比較してみました。
よく見ると横大路家住宅は、土壁と石場建てが一体になっています。九州各地の藁葺き屋根の古民家を見ても土壁と石場建てが一体になっているものは少なく、大変珍しいものだと思いました。
高温多湿な日本の気候で、建物の痛みは「足元」から来ることから考え出された知恵だった「石場建て」ですが、長い年月で良い素材なども開発され、少しずつ九州の木の家にもデザインに変化が生まれたのだと思います。
今では、福岡県内にも古民家が減ってきている中、日本古来の木造建築が残っているのは嬉しいですね。
横大路家住宅は、福岡で家を建てる私たちセイケンハウスの家作りにも大変参考になる文化財でした。
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福岡県粕屋郡新宮町大字上府420番地

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木の家 波の家は、福岡のハウスメーカー・セイケンハウス株式会社が運営する研究所です。
私たちは、縄文時代から続く家づくり研究を通じて、急速に発展する生活のなかで見えなくなりつつある
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